2013年03月03日

つぼみ通信

今さらだけど、
新しくブログとかやってみようと思いまして。
絵日記みたいな軽いやつ。
できるだけ楽しげなことを投稿したいですね。
たまに、物語を書くこともあるかもしれません。
暇だったら読んでくださいな。






はなちゃん






ツイッター感覚で、
気ままに。

使い方に手間取り、
いきなり写真が収まらない事態が発生しましたが、
なおし方もわかりません。
そのままいきます。
ブログタイトルはあまり深く考えず、
なんとなく決めました。
特に意味はないです。
荒んだ暮らしの中においても、
小花を見る余裕を持っておきたいものだなあ、と。
クウネルみたいな感じ。
できるかな。
うまくいけばいいけど。
いやになったら閉鎖しちゃうおう。

新しくない質問。
なぜ人は日記をさらしたがるのでしょうね。

ひな祭りの真夜中

微笑しよう。
posted by きき at 13:40| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月16日

祈ることとかあるよね

新年明けてから、
近所の神社でお守り買ったんですよ。
しばらく控えてたんですが、
気休めというか、とにかく心細かったので。
巫女さんとお守り話に花が咲いたんですが、
その会話で今まで知ってるようで知らなかったことに気がつきました。

賽銭をたしか、五円ほど放って、詣って、
そしたら、賽銭箱の左のところにたくさん絵馬が吊るしてあったんです。
もちろん、その内容を見てみました。
そしたら、圧倒的に受験生の、
「○○大学に受かりますように」
○○高校に合格しますように、というような受験生の神頼みが多かったんです。
やっぱり最後はお祈りしちゃうよね、
と自分のときのことを思い出したりしてみた。
絵馬までは書かなかったけど、お祈りはした。
で、くるりと向きを変えて、
巫女さんが座ってるお守り売り場の前にいって、
どれにしようかな、と手に取って、違いを聞いたりしました。
その会話の流れでぼくはさっき気づいたことをぶつけてみたんです。

「絵馬を見ると、ここは受験生のお願いが多いんですね」

そしたら、巫女さん、にっこり笑って、

「天満宮ですからね」

とクールにおっしゃる。

まだピンと来てないぼくに巫女さん、

「ほら、太宰府天満宮って、あるじゃないですか。菅原道真を奉ってる」

やっと点と点が線である。

「あっ。学問の神様か」

巫女さんは微笑した。

支店というわけです。

そのとき、ぼくは小学校の修学旅行のことを思い出しました。
旅先が九州だったんですよ。
スペースワールド、秋芳洞?、吉田松陰の塾とか巡ったんだけど、
太宰府には行かなかった。
なんだけど、バスで近くを通ったんです。
そしたら、バスガイドさんが太宰府天満宮の解説を一通りしたあと、
こう言ったんです。
「さ、みなさん、道真公にお祈りしましょう」
バスの中の小学生及び引率の先生は、みんな同じ方向を向き、手を合わせ、
「頭が良くなりますように」
あのとき、ぜんぜん違う個人的なことを唱えている人がいたら、その人はすごいね。
ぼくは素直に従っちゃったぜ。
バスガイドさんが卑弥呼さまに見えたよね。

あのくだりがあったから、東京に行けたのかなと思ったりします。
お祈りって、なんかいいですよね。
パリでふらふらと無名の教会に入ったときにね、
いっけん今時の若い外国の女性が祈ってるのを見たんだけど、
祈りつづけるって、すごいことだと思います。
止めたくなることもあるかと思うけど。
ぼくも不安なときは、無意識のうちに祈ってるね、たぶん。
べつに神社とか寺とかに出向いて行かなくてもいいんです。
ぼく的にはね。

ところで、その日見た絵馬の中で一つ突出したのがあったんですよ。
○○学校に受かりますようにが圧倒的に多くを占める中、
その文言はひときわキラキラと光っていた。

○○大学に合格します。

名前を確認すると、女の子でした。
おそらく意思力が強い人でしょう。
すごいなあ。
男と女はやっぱり違いますね。
ぼくはニヤリしました。
合格するといいですね。
祈ってあげたい。
posted by きき at 21:23| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

しんらん

さて、三時になったら出ようかな。
用事はないけど、
とりあえずあてもなく横川方面に向けて歩いてみよう。
空鞘神社に参ろう。
それから、寺町にいこう。
あそこ一帯は、浄土真宗のお寺さんである。
安芸門徒だ。
なぜ親鸞の教えが広まったのか。
いろいろ要因はあると思いますが、
ぼくが一つ言えることは、
人間の真の正体を暴くにはいわゆる小市民として生活する以外にはない。
そこから親鸞が出発したところだろうと思います。
坊主だって、酒飲みたいし、結婚だってするよ。
だって、煩悩深き人間ですから。
だれが否定できましょうか。
冥利づくです。
ぼくは日本文学史もぼちぼち勉強しましたが、
仏教史も勉強してみたんです。
政治史はほんのちょっと。
そしたら、やっぱり親鸞がやったことは、
漱石も太宰も敵わないくらいすごいことだとわかりました。
歴史はえらいもので、そう簡単に覆ったりしないのですよ。
親鸞の没後、その教えをいまに伝えるため、
先頭に立っていたのは、蓮如という坊さんです。
ぼくはべつに宗教家ではないので、
布教活動などしないのですが、
そういうことをぼんやり思って歩いてるわけです。
市井の片隅に生まれたただの男ですからね。
やることなすこと、親鸞に遠く及びません。
まだまだそわそわと落ち着きがなく、
しかし、その生きる姿勢だけ、格好だけは、
早くも隠居気味の林である。
よい日を。
posted by きき at 14:47| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

果たしてポジティブであることは善か

よく人生に詰まっても、楽観的にいけという教訓めいたものがある。

ぼくがまだ大学生の頃のことです。
社会学という一般教養(通称、パンキョウ)の授業で、
教授がこうおっしゃっていた。

「ポジティブというのは、靴紐がほどけても、そのまま走り続けることではなく、ほどけた靴紐をしっかりと結びなおし、また走り出すことなんですよ」

ぼくは、なるほどね、と思った。

つまりポジティブを誤解しちゃだめだよ、という警報ですね。
ネガティブ思考も必要ということだと思います。
何かやる前にシュミレーションしてから、やってみたらいいよ、
ということだと思います。
ちなみに、ぼくはこの社会学の単位は不可でした。
もっと恥かしいことを告白すると、
うちの大学は授業一つあたり4単位、2単位のものも少しあり、
卒業単位が130だったんですが、
ぼくは七年通っておきながらそのうちの96単位しか取れませんでした。
ふつうはみんな四年でちゃんと取って卒業します。
人より三年長く在籍しておきながら、ですよ。
お恥ずかしい。
靴紐がほどけたことには気がついてたと思いますが、
もはや結びなおす気力もなかったと思われます。
ぼくは最下層を自認した。

ファイト、留年生!
posted by きき at 15:32| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大学の意義

いよいよ受験も終盤戦に突入の頃かと存じます。
ぼくも身近にいる大学院生とお茶を濁したりしながら、
再度、大学とは一体なんだったんだろうか、
と思いをはせる二月上旬です。

大学院生の某君に、

「大学も大学院も考えるところです」

との指摘を数週間に受けてからというもの、
林はおのが学生生活をふりかえり、
なかば強引に大学の正体を暴き出せたような気分になった。
曰く、
大学は、考え方を学ぶところです。
そして、これまでわれわれが培った旧式のメソッドは、
神聖かまってちゃんというバンドの作詞作曲をするひとりの青年によって、
いとも簡単にひっくり返されてしまったのである。
近況を聞かれたドキュメンタリーの中で彼は、
はつらつとこう言っていた。
「おれは、出かけるようになりました」

インドア派の彼が作り出した季節は流行りに左右されない温故知新である。
古事記も徒然草も平家物語も、もはや太刀打ちできない強さである。

大学の意義も吹っ飛びます。
posted by きき at 10:57| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月03日

ぼくのターニングポイント

このブログでもう何度も書きましたけど、
ぼくはむかし東京の世田谷区の片隅で、
特に人間不信とかではないんですが、
自分に嫌気がさして、
人間関係にも疲れはて、
それから、東京という街そのものが持ってる圧力に負け、
精神は無惨にも崩壊した。
当時、大学三年生だったんですけど、
一年間ほど不登校になりました。
何もかもいやになってね。
弁解の能力さえ失い、
「ぼくは何だろうね」
と、散らかりまくった部屋のベットに力なく寝転び、
ずっと天井を見てました。
大学の一人暮らしの登校拒否って、
どんなものかっていうと、
はじめは友人が心配して来てくれたり、連絡してくれたりするんだけど、
ずっと無視してると、ある時期から、もう誰も何も言ってくれなくなります。
こちらは接触を拒否しているので、
それは本来、自分の望んだ環境なわけだけど、
こんなに大きな環境の変化は、ぼくの生涯に於いてなかったですね。
悲しいとか、淋しいとか、そんなんじゃないんです。
そういった、ある意味では人間の健全な感情を飛び越しちゃってましたね。
孤独というやつですね。
いま振り返ると、
「あんな時期もあったなあ」
と懐かしめるんですが、
まあつらかったですね。
でも、あの一年は、これまでで一ばん意味があったように思えます。
ほんとに。
まあ、それだけのことなんですがね。

書くことは、自分の考えをまとめることである、ですよ。
posted by きき at 17:45| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月26日

ウェブの海を漂流して

ぼくは、むかし東京に暮らしてたことがあったんですが、
新聞やテレビはほとんど見ませんでした。
なぜかというと、東京という得体の知れない街をふらふらしてるほうが、
よっぽど勉強になると思っていたからです。
実際に、それはそんなに間違いではなかったと今でも思ってます。

そんなぼくが大学二年生くらいのとき、
堀江さんという実業家が登場し、世間から脚光を浴びていました。
この人は東大をそうそうに中退して、起業、いっきに行った人でした。
ぼくはメディアを通して、堀江さんのご活躍を見ていました。
プロ野球球団を買おうとしたり、フジテレビの株を大量に取得したり、また政治の世界に乗り出そうとしたりもされてました。
頭が良いのと、時期が良かったのも合間って、あっという間に時代の寵児になった。
直接堀江さんの著書を読んだことはありませんでしたが、
堀江さんのことを引き合いに出して、何かを論じてるかたの文章は興味を持って読みました。
それで、ぼくが忘れ難い堀江さんのことばがいくつかありまして、
好きとか、嫌いとか、正しいとか、正しくないとかはさて置き、
なるほどねえ、と思った堀江さんの哲学です。

「これからはインターネットがテレビを抜く時代になる」

そうかな、と思いました。
やっぱりテレビのほうがお手軽だし、そうはならないんじゃないかというのが、この発言を聞いたときのぼくの感想でした。
いまから十年くらい前の発言ですが、どうなんですかね。
たしかにネット人口は増えた気がするし、ケータイでネットするのは当たり前だし、
やっぱり当たってたのかもしれません。

「お金っていうのは、人間でいうと血液みたいなものだから、財布の紐が硬いと経済が回っていかない。そうすると、体に栄養が行き渡らないのでよくない」

ぼくは経済についてはとても暗く、でもまあそりゃそうだなと思いました。

瞬く間に時代の寵児になった堀江さんですが、
法を犯していたという疑いが掛けられ、逮捕されてしまいました。
世に有名なライブドア事件である。
ぼくは世田谷の古アパートで廃人同様の生活を送っていたので、
リアルタイムでは考えなかったんですが、
というのも自分が苦しいときに人のことなんか考えれない。
人間にとっていつも私事が大切であります。
重度の鬱病が少し良くなり、生きる希望を多少持ち直し、精神の健康を回復してからぼくはやはり気になり、ライブドア事件に書かれたいくつかの文章を読んでみた。
事件後の堀江さんのテレビでこんな発言がありました。
キャスターから、今回の事件でどういうことを思いましたかという問いに対して、

「人を疑えってことですかね」

堀江さんが本当に法を犯していたのか、ぼくはその裏事情は、本当のところはわからないんだけど、大人に傷つけられた子供のような顔をしてぼやいたあのことばから、ぼくは堀江さんは少なくとも罪の意識はないんだな、と解釈しました。自分がなぜ捕まらなければならないのか、わからない。そう信じて疑わない。だって、自分は世間の人たちを喜ばせたい一心で働いてきた。それなのに、あんまりじゃないか。堀江さんがお金こそすべてだと言い張るほどお金に魅力を感じていたとは思いませんが、少なくともお金はすごいもので、お金があれば人生は楽しいよ。それくらいは思われていたのではないでしょうか。そして、ぼくもその通りだと思います。実際、ぼくは現在、月に十五万円も稼ぐことができませんし(きのう、給料明細開いたらば、え! 少なっ! しゅんとなって、おもむろに出勤日数を見たらば、17日でした。収入を増やしたい気持ちとは裏腹に、ぼくのモチベーションは向上していかず、あわよくば結婚などと淡い夢を抱いてる。ほんと生まれつき怠け者ですわい)、それゆえに情けない思いをすることがときどきあります。もう少しお金があれば、精神的にらくなのになあと思わない日はない。でも、いまの自分の身の上が不幸だとは思わないですね。強がり半分、本音半分というところでしょうか。

さいごに。
堀江さんのことばでぼくが最も感心したのは、

「お金には色はない」

と言ったことです。

これを知った同窓の養老さんが、ホリエモンは現代詩人だとおっしゃってました。

ぼくは別に東大の偉い教授の養老さんがそう言ったから、感心したわけではなくて、これまでいろんな人の話を聞いたり、いろんな本を読んだりしたけど、「お金には色はない」こんなにピシャリとお金について解説したことばにお目にかかったことがなかったので、忘れ難いんですよ、ほんと。

堀江さんは現在、服役中ですよね。
牢屋に入る前にこう言ってました。

「出てきたら、人の役に立つことがしたい」

どんなことをされるのか。
ヘソ曲がりのぼくは虚勢なく思うですよ。
人の役になんて立たなくていいから、人間はただ生きてればいいのですよ。
ぼくは最後までこれで行きたいと思いますね。

最近ちょっと考えてたお金についてのことを書いてみました。

そうそう、この前、立ち読みした雑誌にウディ・アレンの映画の或る女性の台詞が紹介されてて、ぼくはいいなと思いました。

「お金を追う女はたくさんいるけど、私はその人たちって欲がないのねって思うの」

こんな感じでした。
ウディ・アレンはね、鋭敏で辛辣なところが魅了なのさ。
posted by きき at 13:43| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

東京で学んだもの

ぼくが東京に少しのあいだ住み、
そこで学んだことは、
胸をはってひとさまに言えることは、
孤独、
この一点だけである。
五年前のぼくはそんな心境だった。
けれども、それはまだまだ甘かった。
故郷に引っ込んで、
フリーターとして独り暮らしを開始した約四年前の、
あの春の足音も聞こえ出した三月の或る日。
荷物も運び終え、
いまのこの古マンションに転居した最初の夜。
ぼくは人知れずぶるぶる震えた。
「これが、孤独というものか」
ぼくは本当を知った気がした。
そして、急いで最寄りのコンビニに酒を買いにいった。
過去が走馬灯のように巡り、
東京での愚行、
実家のひとたちの顔、
将来のこと、
不安でたまらなかった。

で、今日に至ります。
少しくらいは成長できたのかしら。
posted by きき at 11:03| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月22日

笑顔のディスカッション

バイトの空き時間、
高卒の○○君がふとした会話から、
大学院生の△△君の専門性の穴を以下のように指摘した。

「おまえ、ほんと本読まないよな」
「はあ。まあ」
「経営学ばかり勉強してないで、哲学書とかも読んだほうがいいよ」
「そうなんですかね」

はたでそれを聞いていた林は、
なかなか面白そうな議論が勃発しているね、
と興味津々で△△君に投げかけた。

「読まないったって、二ーチェくらいは知ってるでしょ?」

△△君は、ぽかんとしていた。

「知らないです。誰ですか」

ぼくは、そうか、と思った。

「大学院に行っておきながら、二ーチェも知らないのかよ」

○○君はさらに畳み掛けた。

「え、二ーチェを知らないってことは、ハイデッカーも知らないってこと? 前島密も知らないってこと?」

ぼくはすごい会話が飛び交ってるなあ、
と可笑しく、
黙ってその攻防を見ていた。
△△君もたまらず、論破の機会をうかがってるようだった。

「アリストテレス、ソクラテス、プラトンだろ? 古代ギリシャ哲学といえば」

けれども、今回は○○君に軍配があったようである。
圧勝で。
その熱弁は、すごい迫力及び破壊力をもっていた。

哲学は論じ始めると切りがない。
ぼくは好きです。
物思いにふけるところが大学だろう、
とイメージしていた高校生のぼくは、
受験のとき、哲学科を志望した。
しかし、残念なことに学力の関係でそれは叶わなかった。
ぼくはそのとき、いまよりも哲学者だった。
ルサンチマンである。
消極的態度である。
けれど、一つの分野に秀でていることは、やはり良いことのようにぼくには思われる。
たとえ、他がぜんぜん不得意だったとしても。
天は二物与えないというではないか。
これだ! と思ったら、それが伸びるように追求してみるのも一つの手である。
鍛練。鍛練。どうぞごゆっくり。
ぼくが最も馴染んだ哲学者は、二ーチェ。
金言の宝庫ですよ、彼。

※哲学とは、平たくいうと、ある些細な事象をああでもない、こうでもない、演繹法、帰納法など屈指し、要は簡単なものをわざと小難しく考え、真理らしきものをひねり、導きだすものです、たしか。日常の会話の中でそれは散見することができます。「トンカツにからしは必須だよな」これもどこかのおじさんの哲学です。誰でも哲学者になれます。というか、人間は生まれた瞬間から、おのず哲学の道を歩いてるものである。考えるからね、人間は。知らぬは本人ばかりなり、ということは往々にしてある、と思う。われ思うゆえに、なんだっけ?
posted by きき at 22:27| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

題はなし

バイトのシフト上、
土日休みなのだけれど、
まあ何もしない。
連休なのはうれしいが、
いかんせん有意義な過ごし方ができない。
これといって、趣味もないしなあ。
とにかく何するにも億劫で敵わん。
夢も希望もない独身のフリーターにしてみれば、
とりたて珍しいことではないかもしれない。
せっかくだから、何かすればいいのにね。
自分でもよく思う。
時間は有限なのに。
いくら一人でいるのが気らくでいいやって、
あまりにも荒んでる。
酒を飲んでは、惰眠をむさぼる。
たしかに、ある意味では贅沢なんだが。
望んだ暮らし。
虚しさはどこまでも付きまとう。
ぼくは暗い男さ。
自閉症。
大丈夫なのか。
このままなのか。
覇気のない顔でまた無意味な日記を書いてる。

※きょうからまたバイトに精を出す。食えないから。
posted by きき at 04:30| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

しょにち

image/2013-01-01T16:36:25-1.jpg

ご近所をひとり散歩してきました。
バトミントンをしてる父と娘がよかったです。
平成の正月だなあ、って。
今年の抱負などというものは、とくにありませんが、
歩きながら、自分なりに「いちねん」の計画を立てました。
きのうまでと同じように、
園児のような発想で楽しみたいと思います。
ぼくの顔がくもってたら、どうぞおしえてくださいな。
やさしくなりたいもんだ。
よいおとしを。
もしよかったら、
これからもよろしくおねがいします。

元旦のゆうがた
posted by きき at 17:02| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月29日

読書について

若者の活字離れが叫ばれてひさしいですが、
じっさいのところはどうなんでしょうね。
ぼくは、それは嘘だと思います。
若者の活字離れ。
このことばの意図は、ぼくが思うにこうです。
本を読まない。
これだけです。
しかし、考えてみてください。
人間が生きていくからには、
どうしたって、ことばは使いますよね。
現に、活字離れしてると勝手に大人から揶揄されてる世代、
ようは、たとえば、いまの若い人たちだとして、
二十代前半の人だとします。
その人たちは、メール世代です。
あるいは、メールなんてもう古いよ、いまはラインだよ、世代です。
そのツールを使うには、基本的にことばを使いますよね。
だから、別に本を読んでなくったって、難しいことばを知らなくったって、
やり取りをする相手に自分の気持ちが伝わりさえすれば、
いいとぼくなんかは思います。
たとえば、ギャル文字というのがあります。
詳細はググッてくだいさい。
これなんかで言えば、ぼくは正直読みづらいし、
場合によっては何が書いてあるかも解読できない。
いま、ぼくがメールする人でギャル文字を使う人はいませんが、
だいいちメール自体もほとんどしません。
小明さんじゃないけど、
「あたし、誰かになにかを伝えたいとか、そんなにないの」
です。
ぼくが思ってるだけでいいんだ、というところで落ち着いてます。
我慢とか無理してるわけではない。
いろいろ考えると、ほぼ事務的なメールになるのは必然的だと思います。
むかし、或る作家が言いました。
「人にものを言うということは、無神経の証拠である」
さすが、この人は一流だと思いました。
さいごは、玉川上水に愛人と身を投げた人ですけどね。
脱線しましたが、ぼくが言いたいというか、
よく思うのは、
本を読もうが、読まなかろうが、
どうということはないよ、ということです。
ぼくの場合でいうと、ぼくにとって読書は幼い頃からの習慣でした。
母が読書家だったから。
それだけなんです。
母はよく言いました。
「本を読みんさいよ。人間が一生にできる経験はたかが知れてる。だから、本を読んだほうがいい」
ぼくは昔から、人から指南されたことで、良いと思ったことは積極的に取り入れたい性分なので、
そう教えられたあの日から、ずっとそうしてきたわけです。
読書しててよかったと思うことは、いろんなものの見方ができるということでしょうか。
逆にいやだったことは、うつ病に拍車がかかるということでしょうか。
あと、よかったことがもう一つあります。
少し淋しさがまぎれることです。
わかった!
ぼくにとって、読書と酒は同じですね。
自分の哀しくなっちゃってる気持ちを、
いっしゅん、
ほんの一瞬だけ、
そっと慰めてくれる、
人とはまた別の人生の、
そんな佳きものです。

もうこれでおしまいにしますけど、
読書するなら、若いときにしたほうがいいと思います。
感性っていうのは、やっぱり癖がついてないうちに研くのがよろしいかと。
あそうだ、あと作品に出会う時期も重要ですね。
これは驚くほど、響き方が違いますからね。
こうなると、運の問題も関わってくるかも、です。

声を大にして言いたいですが、
読書したけりゃ、すればいいし、
したくなかったら、しなくたっていいのですよ。

そして、ぼくたちはお金のためだけに生きているわけでは全然ない。
ぺーぺーのぼくが言えた義理ではありませんが、
詰まるところ、
人生は何を愛す。
これだけなのです。

本からすっかり離れちゃった林さ。
どなたかと酒でも酌み交わしながら、
にこやかにばかげな話をするのがめっぽうすき。
では、では。
またネ。
posted by きき at 13:09| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

明日はあしたの風が吹く、のかな

きのうは、雨が冷たかったけど、
ひまだったので、
十八時前にひとり上がれることになった。
希望早退者の募集である。
「だれか、上がりたい人?」
迷いはない。
「はあい! はい! はい!」
ぼくはやはり徹頭徹尾、くだらん孤独主義者であった。

ニコニコしながら、
「すいませんねえ」
いちおう申し訳なさそうに打刻を済ませ、
まるで家に妻と乳のみ児が待ってるような顔で
平和大通りをまっすぐ帰った。

「わしでいいの? いいの?」
と、いまいち確信の持てない男は周りのご機嫌を伺うのだが、
やさしい同僚の人たちは、
「おれ、稼ぎたいんで、どうぞ、どうぞ」
などと、送り出してくれるのである。

そして、ご存知のように、
ぼくの侘しいマンションの部屋には、
子はおろか、女房さえも待っていないのである。

仮に、どちらもあったとして、
お給料を削って早く帰ってきた亭主に細君は
どんなことばをかけるものなのだろうか。

「ただいま」
「あら? おかえりなさい。きょうはえらく早いのね」
「暇だったから、上げてもらったんよ」
「そう。きょうはね、ロールキャベツにしてみたよ」
「そいつは温もりそうだね」
「もうちょっと待ってね。なにせ、初めて作ったから、一進一退でさ」
「うん、わかった」
「きょうはね、よく笑ってましたよ。あなたの娘」
「そうか」
「もしかしたら、お父さんが早く戻ってくるの、知ってたのかもね」

男は妻の澄んだ目を見ては、理想の家庭について考えたりした。
娘はまだ赤ちゃんではあるが、
大人のこと、
すべて知っているかのように微笑んでいる。
夜泣きも滅多にしない。

※林ちゃん、重症ですぞ
posted by きき at 10:42| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月27日

2012年を振り返る

月並みですが。

そうですねえ。結局、ぼくは今年も一人前にはなれませんでした。口だけです。バイトに追われ、働けど、働けど、らくにならず、それは要するに低賃金の雇用に追われていたという言い方もできます。貧乏暇なしというやつです。お酒を飲んでも、ほとんど味がしなかった気がします。夢も希望もないぼくですが、来年もこの調子でコツコツやっていこうと思います。本年、何かと気を配っていただき、ありがとうございました。うれしかったです。2012年。バイトばかりやってました。

年末ですので、
くれぐれも大事にされてください。
身体にも車にも気をつけていただき、
また新しい季節を始めましょう。
各自、ご事情はあるとは思いますが、
やり残したことを無理に片付けようとしなくても
いいのではないでしょうか。
また年が開けてから、ゆっくり解決していきましょうよ。

まあ、見切り発車で、なんですが、
良いお年を。
月並みですが、
posted by きき at 00:28| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月18日

全然さみしくなかった

そういや、小学校低学年のころ、
別にサンタクロースを信じていたわけではないけれど、
まあ、そういう仕事をされてるひとがいるんだ、
ある意味、無関心、無感動に割りきっていて、
ことに現実家のお母さんが、

「サンタさん、来てくれるかね」

などと、大人の顔で、安易に、
子供の夢を壊さないように努めてくれた。

灯りを落とした大宇宙のような暗闇の中、
ドキドキして、眠れず布団を被ってるぼくは、
と、ひとの気配を感じた。

見慣れた大人の男が枕元にものを置き、
立ち去った。
となりでは、妹がすやすや熟睡している。

よく朝、包みを開けると、
数週間前、おかあにリクエストした品だった。

「よかったねえ」

それから、
おとうにも自慢した。
とうとは、満足げに笑っていた。

ぼくは、大人の夢を壊してはならぬ。
そんなことを思った。

内緒だよ。
posted by きき at 00:55| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

おだんご

幼稚園にて

「ねえ、みて」
「ん?」
「おだんご」
「うわあ、じょうず」
「れんしゅうしたら、うまくなったんよ」
「さらさらのすなをまぶしてるから、きれいね」
「はい、てだして」
「え?」
「あげる」
「え、でも、これ、○○くんがずっとたいせつにしてたやつじゃないの? あのあじさいのしたに、ビニールにいれてかくしてたやつでしょ。たからものなんでしょ?」
「だから、あげるんよ」
「プロポーズしてる?」

先日、保育園に通う友人の娘(四才)に公園で小一時間遊んでもらいました。
楽しかったです。
いまの子も、おだんご作ったりするんですかね。

※発明家のエジソンが小さいころ、「1+1=1」といって、先生を困らせたという話を思い出したことに端を発したのがこの日記の着想です。かれの理屈はこうです。粘土Aと粘土Bを合わせると、2にならない。1じゃないか。さぞかし嫌な子供だと、先生は思ったことでしょう。ぼくら世代では、「1+1=たんぼの田」
いつの時代でも、子供と大人はねえ。

そして、アダルトチルドレンは、もう眠い。
posted by きき at 21:52| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月08日

残暑

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あたしも生まれてこのかた、いろんな人に、聞いてまわってみたけれど、ほぼみんな口を揃えて、「え? なぜ? いい季節じゃないの。暑くなく、寒くもなく、過ごしやすい。それに、ごはんも美味しい」きょとんと、ふしぎがられ、それからというもの、あたしは、或る年をさかいに、いつのまにやら、その質問をすることを人知れずやめ、世間に泣き寝入りをし、みじめを抱きしめ、公園のベンチの前を、風に吹かれた落葉がくるりと一周する救いようもないもの悲しい風景を思い描いてみては、またいつも通り、代わり映えのしないであろう、悪気のない秋を前にして、途方に暮れてる。「恋愛でもすれば?」という人があるかもしれないけれど、あたしはその方面に関しては、むかしから人一倍冷めていて、絶望はいよいよ深く、恋をする少女だった頃もあったっけ。かんざしをくれた人。ぴったり呼吸が合い、胸が高鳴ったあの日の夜。ちょっとだけ懐かしく思い出した。あとにもさきにも、そんなことは、あのときだけだった。たしかに風車が勢いよくまわってた。

いろいろあって、いまだ秋を克服できないでいる。
posted by きき at 00:50| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月05日

忘れがたき一行

※前日記参照

「結婚は良いものです」か。けさ、ふれた何気ない一行がいちにちじゅう、頭から離れなかった。「結婚は良いものです」。そんなこと言えるなんて、おっきんも大人になったもんだなあ、と思う。五年前は、ぼくと同じく無職で、地元のやきとり屋のカウンターでいっしょに屁理屈いってたっていうのに。やることやってたから、言えるねえ。偉い。「結婚は良いものです」のあと、「…(笑)」を付け加えてるとこなんか、いかにも、おっきんらしい。照れ隠し、なのかな。これからが本当に大変になってくから、浮かれてるわけにもいかんもんね。いずれにせよ、「…(笑)」があって、よかったと思うわ。よく伝わったよ。秋吉久美子さんも、「結婚が人生の墓場なわけない」と仰ってたし、結婚に興味津々なフリーターのぼくです。しかし、夫婦って、何なんだろうね。周りにいるそれを見て、歳もあって、よく考えちゃうんだけど、おこがましくも一つ言えることは、一度や二度、もうこんな人とはいっしょに住めない、別れたいと思わないような夫婦は、だめなんじゃないか。ということですかね。不仲なのはいやだけど、お互い生地で接したら、腹も立つだろうし、納得もいかないだろう、と。違う親に育てられた二人が暮らしてるんだから、そりゃバッチリ合うわけねえだろ。だから、妥協しなきゃ、続くはずがねえ。結婚する前は、両目を開き、結婚したら、片目をつぶれ、だよ。うちのお母さんは、「いつでも出ていくわ」が口癖だったので、鬼ごっこしてる頃から、長男は、「また始まった。やれやれ」。お父さんは、いつも黙ってましたね。掴み合いになったりしたこともあったけど、基本は黙って、嫁の主張を聞いてました。そんな感じで、いろいろあって、結局、別れず続いてる。「この人がいないと生きていけない!」(経済的なことは抜きにして)などと、悔しいから言いたくないかもしれないけど、まあ夫婦なんてのは、詰まるところ、依存してなきゃあんまり意味がねえぞ、というのが、今のところ、ぼくのつたない夫婦論ですかね。ちなみに、ぼくは皿も洗いませんし、洗濯もしません。それと、よそ見(浮気)もしません。何もしない夫。需要は? さあ。ぼくは女じゃないので。

「おとうさんは、いい人じゃ」

最近、或る嫁がよく言ってます。散々、これでもかってくらい悪口言ってたくせに、歳月ってのは、面白い。やさしい。やっと本当の大人になれたのか。ぼくは、「今ごろ、気づいたのか。鈍感だな。自分の旦那は、あの人しか務まらんよ」「そう思う」「夫婦って、やっぱり似てるもんだよ」「うん、そう思う」

同じ月を見てる。

うそつきではない。

既婚者のみなさん、
結婚は良いものです、か。
posted by きき at 23:02| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はがき

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そんな気がします。
「経験者はかく語りき」だね。
お二人ともに、どうぞ大事にされてください。
また落ち着いたら、お酒でも。
水のシャワーが少々冷たく感じ、赤い蛇口を何回かまわした九月の朝でした。
ぼくは、相変わらず、呑気にやってます。
結婚するって、すごいことね。
夫婦は、考えてみると、変な関係だ。
独身のぼくはよくそう思います。
夫婦は、所詮血の繋がりのない他人だけど、この世で一ばん心許す他人だろうね。
それは、きっと理由もなく、いいものなんでしょ。
夫婦のつぎは、何になるのさ。
またおしえて、大先輩。

お便り、ありがとうございます。
顔がほころびました。
posted by きき at 12:21| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

きのうね、

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父のほう(うちの)と、それから母のほうと、二つの墓参りをしました。朝七時に出発して、家に戻ったのは十七時前でした。おおかた半日仕事です。みんな好き勝手しゃべり、これまでむかつくことも多々あったけど、三人から針のむしろにされたこともあったけど、「この人たちとは、一切まともな話ができない」絶望したこともあったけど、今でもあんまりまとまりがあるとは思えないけど、しかし、ああ、なんやかんや人生の一時期、同じ屋根の下で暮らした、純粋に血の繋がった家族は、やっぱりいいもんだなア。ひとり、後部座席で、なつかしさに浸った。となりの老婆がぽそっと言ったことが、ぼくのセンチメンタルにまた拍車をかけた。

「おとうさん、子供が運転してくれるようになったけえ、らくじゃね」
「うむ」

自分がいま生きてるということは、元を正せば、父と母がいるからです。それはいろいろ悲しいことがあって非嫡出子、あるいは人にはわからない事情があって離婚された夫婦の子も、それを否定できません。わかったような口をきいて、ごめんなさい。けれど、このままつづけます。もっというと、あなたのはじまりの、その夫婦にだって、お互い父と母がいます。ずっと遡れるんですよ、こうやってくと。それがあなたの血脈というものです。

園児のとき、参列した親戚の葬式(父の腹違いの兄)の帰り、おとうさんが何気なくこぼしました。

「林のいえは、ふくざつなんよ」

後日、おかあさんが同じ男の子に、何かの拍子に言いました。小学校にあがっていたと思います。

「りょうた、代がつづいていくっていうのは、大変なことなんよ。林の家は、あんたで、四代目よ。わかった?」

なんだか、たいへんなとこに生まれちゃったもんだなあ、幼心にも思って、でも、そんなことすぐに忘れて、両親の背中を見て大きくなり、わが父母がおしえてくれたことが普通だと思って、それは世間的な常識とは違うのかもしれないんですが、いろいろ挫折に挫折を重ね、これまで生きてきたわけなんですが、とにもかくにも生きていくことは並みのことではないんだ、きのうはずっとそんなことが頭を巡ってました。

べつに先祖の所在がはっきりしてなくても、ぼくはいいと思います。ぼくも林の四代目らしいのですが、正直、何代目でもないと認識してます。むかし、一組の男と女がいた。それが繰り返されてきただけのこと。それがつまり、あなたの先祖ということなんですよ。その人たちがいて、長い年月を経て、ぼくらは生まれ、いま生きてる。人間の共通点は、これです。これだけです。だれも例外はない。ぼくはそんなふうに考えて人間の歴史を思い、人生の奥深さに震え、悪を避け、きょうも生きます。

男は、涙を浮かべた女の細い両肩に手をやり、

「いいかい? 二時だよ。夜中の二時だよ。いまから、十二時間後だ。あそこで、落ち合おう。あの時計の下だ。いいかい? だれにも言っちゃだめだよ。いいかい。二時だよ。泣くなよ。大丈夫。ぼくは嘘はつくけど、約束は守る。二時だよ。荷物は少な目に。いいかい? いつもの笑顔で。ほら。おまじないのことば。白い花といえば?」

女は、目に溜めた涙を一滴ほおにながしながらも、必死に笑った。

「ゆり」

こんなやり取りも、もしかしたら、大昔にあったかもしれませんね。
かけ落ちの二人は、どうしたでしょうか。
新しい街で、貧しくとも、しずかに暮らせたなら、いいんですけどね。
おじさん、瑞穂の道の駅で、家族が野菜見てるのをよそに、ひとりロータリーに佇み、そんなありきたりなロマンスを日記にしようと思っちゃいました。思っちゃったんだ。すぐ物語、作っちゃう。ばかでしょ。
posted by きき at 11:18| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

作ってみたの

どうしてもしたかった仕事をするため、二度と戻らない決意(喧嘩別れしたわけではない。親離れしたかっただけである)をもって、そんなに大きくないスーツケースに荷物まとめて、実家を出た少女のような意志。「なめちゃいけない。世の中、そんなに甘いもんじゃないんだよ。悪いことは言わないから、今の仕事をつづけたほうがいい。後悔、先にたたず、だ」わたしが先月まで勤めていた会社は、世間からすると、所謂大手企業で、今でも入社するのはなかなか難しいそうだ。わたしも内定を頂いたときは、天にも昇る気分だった。だって、学生時代、就活はじめるずっと前から、その化粧品会社に勤めることがわたしの譲れないところだったから。そう心に誓いを立てたのには、それなりに理由があって、それは後になってみれば、まさに人生の分岐点で、あの日、あの人にお会いしなければ、そう思うとゾッとする。字数の関係から、そのきっかけの詳細は、割愛いたしますが、ぼんくらなわたしが真剣に自分の人生を考えたのは、ただのあの時だけで、それから一念発起し、自己分析、エントリーシート、履歴書、SPI、ガイダンス、セミナー、インターシップ、それと気休めのお祈り。大げさにいうと、人にはわからない血のにじむ努力をして、運も手伝って、とにかくわたしは夢を持って入ったそんな会社を辞め、都会を捨て、地方の片隅で生まれてはじめての一人暮らしをしている。わたしは小さい頃から、やたらと生き方を考えちゃう性分だった。何かにつけて、それは善いことなのか、とつねに問答していた。けれども、自分が入りたい会社にじっさい入ってみて働くうちに、さまざまなことが判明していき、やがて、それは善いことなのかの問答をする毎日をまた送っている自分に気がつき、それはむなしく、絶望というのではない、喪失感ともまた違って、ああ、しかしなんだかわからぬ不安、ああ、心にポッカリ穴が空いたというのか、じつに空虚で、いよいよわたしは身のやり場を無くてしまった。そして、わたしはあの人に言われたことを思い出したりしてみた。「人生、どん詰まったら、子供の頃、何したかったかを思い出してみると、上手くいくことがありますよ」
結局、わたしはこれまで生き方ばかりを考えてきたけれど、人生については考えなかった。人生というと、どうしてもおこがましくて、照れちゃうの。でも、これからは、少し考えてみようと思う。
脱サラ。二十五才。フリーター。友達は少ない。人間嫌い。彼氏いない歴、二年。夢は、絵かき。
みるみると貯金が目減りしてゆく。

そんな彼女が狭い台所から何気なく言った。

「これ、作ってみたの」


(完)
posted by きき at 10:30| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

ぽつねん

けさ、八時台、すごかったですね。雨ね。軒下から出て、十秒で、ズボンの半分以上が湿っちゃって、それでもすすんで、大通りにでると、冠水の風景。車が横切ると、ワシャア! その脇で剥き出しのプー太郎。水しぶきが白くて、噴水みたい。ふと目の前には、大きなおおきな水たまり。行く手を阻む関門。君に電話したくなったけど、それはすぐにやめて、できるだけ短いところを探し、どうにも避けて通れないハプニングをジャンプ! あぶねえ。股が裂けそうになった。第一関門は、なんとか、おかげさまで。しかし、やはり世間は、そんなに生易しいものではなかった。それから五分ほど歩いた地点で、そいつはじつに性格の悪い顔をして、はっきり待っていた。川である。いや、湖である。みなさまも経験からご存知のように、(たとえ、走り幅跳びのオリンピック選手でさえ、その例外ではいられない)人間は、昔から湖を飛び越すことは不可能である。ぼくには躊躇してる暇はなかった。遅刻は、社会人の三大「いただけない」の一位だからである。あきらめの朝。受け入れなければならぬ現実。恐る恐る右足から。つぎに左。「こんなのは、小学生のとき、うれしがってやったものだけど」センチメンタルな気分に陥った。大人は、臆病。ゆっくり水の中を、まるで改革を押し進めるかのように、歩いた。そして、すぐに陸に上がることができた。それもそのはず。はじめから、ここは、陸続きだったのだ。たっぷり水を吸った靴をたぷたぷ鳴らしながら、会社を目指した。近ごろ、スニーカーを履く際、ほぼ靴下は遠慮してるのだけれど(なんだか億劫で。衛生面から、職場では、顰蹙をかっている)、たぷたぷ、たぷたぷ、危機を乗りこえたあと、やれ、ひと安心に歩いていると、たぷたぷ、たぷたぷ、たぷたぷ、歩くたび、たぷたぷ、たぷたぷ、たぷたぷ、あんまり、面白いように鳴るもんだから、ぼくは何気なく足下を見てみたのである。そして、家を出発してから二十分ほどつづいていたしかめっ面を今日イチでゆるませた。

「あ、きれいになっとるわ」

革靴の手入れはしても、スニーカーは邪険に扱っちゃいません? 大人は、いやだね。

※みなさまも、どうぞ、お気をつけくださいませ。自然は恐ろしいものです。なめてはいけません。危ないと思ったら、遅刻してください。もちろん連絡も怠らず。くれぐれも無茶は禁物です。無理しなくていいから。気をつけてくださいね。うん。それが言いたかった日記です。乾杯!
posted by きき at 22:42| 静岡 ☀| 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月30日

きのう、ももクロを見にいったよ

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夢のような時間だった。もう、とても、とても、昔のことのような気がします。

ある計らいにより、ソールドアウトチケットを棚ぼた的にゲットした林は、生まれてはじめて、日本の所謂アイドルのコンサート、いや、ここはライブと言いたい! 手に汗にぎる、笑顔が尽きることがない乙女戦争の現場、パンクバンドさながらのライブを視察したのである。

「うちら、アイドルっぽくないよね。アイドルのステージって、もっと色があるよ」
「そうそう。メリーゴーランド回ってたり」
「ブランコがあったりね」
「ふつう、アイドルの舞台のセットって、こんな鉄の色したセットじゃないよ!」
「色がないねえ」
「あ、でも、ほら。その代わり、わたしたちの前は、いろんな色があるね!」
「ほんとだ!」

おしゃべりも上手。つかみを心得てる。もっと褒めてあげたい。大人も黙るももクロです。客席は、熱気とともにカラフルなペンライトで終止賑わっていた。

アイドル。おお、アイドルはいつも時代の中にいるものです。アイドルは切なくなくてはいけないのかもしれません。ああ、アイドルは平成の世に、たしかに存在していると確信しました。

ももいろクローバーZ

アイドルの枠を越え、山こえ、谷こえ、かわいい声。力強い声。少女の声。革命に火を点ける声。

ぼくはこの春でアラサーから、偽りのない事実の三十路になり、焦ったりすることもあるけれど、押し潰されそうなときは、神聖かまってちゃん、あるいは、ももいろクローバーZの歌を思い出し口ずさんだりしながら、そこはかとない、どうにも誤魔化すことのできない寂しさを、そのときばかりは、一寸忘れることができます。まだ幼稚園で、きいろ組やってたとき、まさか自分が将来、ほとんど生きることの救いを求めるが如く、職業はフリーター、うだつの上がらない独身の三十の男が、アイドルのライブに、まさか一人で行こうなどと、どんなに当たる評判の占い師だって知らない未来。誰が予想できましょうか。

ライブ終了後、また一つ夢が叶った渦中の男は、昔よく通った大衆酒場のカウンターで、やはり独り、梅しそ巻きに舌鼓をうち、瓶ビールのグラスをいつものようにぼんやり手に持ち、ささやかな打ち上げをした。そうして、心の中で、

「人生ってのは、じつに辛いことの連続だけど……、考えようによっては、良いものだねえ、きみ」

少々長めにつぶやいてみたりした。

きのう、ももクロを見にいったよ。
ひとりで☆
posted by きき at 20:16| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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